2020年のカレンダーは、火焔型土器聖火台(新潟市営陸上
競技場)、みちびきの像(新潟県民会館)等、いまも県民に愛される
数々の像を誕生させた彫刻家 早川亜美氏の作品を取り上げ
ました。内野が所在する西区や隣接する西蒲区から4作品、
うちの大学美術館から3作品を紹介し、早川氏と内野の縁を
感じさせるカレンダーになりました。
表紙
※名称や関係する説明文の内容等は、カレンダー発行年当時のものです。
1月 |
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火焔型土器
聖火台 |
1964年の新潟国体開催に際して県営(当時)陸上競技場に設置されま |
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した。国体閉幕直後の新潟地震で破損したため新たに作り直し(上部 |
1963年/新潟市営陸上競技場
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は再利用)、国体で使用された本体(下部)は間瀬に眠ります。 |
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2月 |
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みちびきの像 |
1964年発生の新潟地震で白山小学校の |
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女性教諭が27人の生徒を連れて懸命に |
1967年/新潟県民会館前 |
避難させる様子を表しています。 |
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3月 |
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越後胎内観音 |
1967年8月28日に発生した羽越豪雨大水害の殉難者 |
104名の冥福と国土の安全を祈念して建てられました。 |
1970年/胎内市 |
青銅製では日本最大級、建立50周年を迎えます。 |
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4月 |
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越後七浦観音 |
越後七浦シーサイドライン沿いにあります。早川氏はこの |
付近に芸術村を構想・計画しますが、様々な理由により |
1971年/新潟市間瀬 |
頓挫。今も山中には未完成作品やアトリエ跡が残ります。 |
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5月 |
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観音菩薩飾り額 |
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1971年/うちの大学美術館所蔵 |
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6月 |
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白鳥像「飛翔」 |
白鳥の飛来地である佐潟付近に所在する |
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赤塚中学校の正面で、圧倒的な存在感の |
新潟市立赤塚中学校 |
白鳥像が生徒や来客者を出迎えます。 |
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7月 |
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かもしかの像 |
特別天然記念物に指定されているカモシカの生息地で |
ある三条市の笠堀ダムに建っています。昨今のダム人気 |
1972年/笠堀ダム |
を、もしかしてかもしかもよろこんでいるかもしか。 |
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8月 |
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能面「小面」 |
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1972年/うちの大学美術館所蔵 |
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9月 |
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水之精 |
360度全方位、どの角度から眺めても見ごたえのある |
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ダイナミックかつエネルギッシュな作品です。台座には |
1974年/新川河口排水機場
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レリーフによって治水事業の歴史が刻まれています。 |
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10月 |
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良寛像 |
火焔型土器、観音像、能面、 |
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良寛像は早川氏が精力的に |
1976年/うち学美術館所蔵 |
数多く手掛けた作品です。 |
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11月 |
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海山地蔵尊 |
内野町が誇る偉大な作曲家・遠藤実先生が |
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見た不思議な夢によって建立されました。 |
1979年/新潟市西区五十嵐二の町 |
新川に架かる渚橋右岸の一角にあります。 |
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12月 |
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平和の礎 |
早川亜美氏はこの像の制作途中に死去。遺志によって後継の秀二氏 |
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(亜旗氏)が完成させました。従軍経験のある早川氏にとって、創造 |
1980年/寺泊中央海浜公園 |
による平和の具現化とは、生涯の取り組みであったのかも知れません。 |
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